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仙台高等裁判所秋田支部 昭和31年(う)92号 判決

控訴人 検察官

被告人 水木鉄雄

弁護人 丸岡奥松

主文

本件控訴を棄却する。

理由

検察官柏木忠の陳述した控訴趣意は検察官山本稜威雄作成名義の控訴趣意書の記載と同一であるからこれを引用する。

同控訴趣意(事実誤認)について。

本件起訴に掲げる如く被告人は昭和二十八年十二月十二日午前一時過頃弘前市大字小友字宇田野四百九十六番地所在父水木福三郎の物置小屋内において中折単発式猟銃一挺と実弾十数発を装備した弾帯の置いてあるのを発見して万一味噌を盗んだことを父福三郎や兄権十郎に知られたら同人等はこの猟銃で自分を射ち殺すかも知れないので、機先を制して父福三郎や兄権十郎等を射殺しようと決意し、右弾帯を腰に帯び右猟銃を手に持つて隣接の父福三郎の住宅に侵入し同家屋に就寝していた父福三郎、兄権十郎、その妻キヌ、兄夫婦の長男登、長女雪子、袒母りつ及び叔母葛西たけを射殺したことは原判決が外形的事実に関する証拠として挙示する各証拠に微しこれを認めることができる。ところで検察官においては被告人は右犯行当時心神耗弱の状態にあつたものとなすに対し原判決は心神喪失の状態にあつたものとして無罪を言渡したことが記録上明かである。

よつて以下所論に従い本件犯行当時における被告人の心神の状況につき記録を精査し当審における事実取調の結果をも斟酌考量して検討考察するに、先づ記録によれば被告人は父福三郎、母はるの間に出生した長兄権十郎、次兄五三郎、姉みゑ、みよ、ミツ、妹和子の八人兄弟の三男として生れ居村部落では中流程度の資産を持つ家庭に育ち新和村小友小学校卒業後家業の農業を一年程手伝つた後一時他家に奉公に出たが間もなく病をえて帰宅しその後は自宅で農業に従事する傍ら桶職の見習などをしていたこと。父福三郎は生来吝嗇怠惰で酒癖が悪くその上妾を蓄えて家庭を顧みないことが多かつたため家庭内は風波の絶え間がなく福三郎の虐待に耐えかねたはるは遂に昭和二十六年十一月頃単身実家に帰り爾事事実上の夫婦別れをするに至つたこと。その後財産全部の独占を図つた権十郎は五三郎及び被告人を事毎に嫌忌して別居を迫つたため被告人は昭和二十七年七月頃肩書住居水木清永方の一間を借受け裸同然の姿で僅かに布団と鍋及び米一斗を貰い受けたのみで別居し、五三郎も同様別居を余儀なくされて昭和二十八年春頃裏の家屋に引移り和子は権十郎の虐律に居たたまらず同年秋頃母はるの実家に引取られたので家には袒母りつ、福三郎並に権十郎夫婦とその子三名が残るのみとなり被告人は別居以来桶屋を職として細々ながら独り身の不自由な生活を続けて来たこと。その間福三郎を相手にはるの提起した離婚訴訟のため福三郎等と被告人の間柄は更に感情的に溝を深め被告人は袒母りつの好意に甘えて僅かに米、味噌などを貰い受けに同家を訪れる以外は殆んど福三郎方に出入りすることはなかつたこと。昭和二十八年十月頃水木清永方の間借りをことわられてからは同家の物置小屋の庇を借受けて藁を敷き辛じて雨露をしのぐ有様で雨風の強い夜或は吹雪く夜など布団は濡れ寒気に打震えて一晩中寝ないで身の不幸を泣き明かすこともあつたが福三郎並に権十郎夫婦はこのような極貧の生活に呻吟している被告人に対し極めて冷淡で何一つ恵むことをせず被告人は日頃同人等の仕打を痛く憤慨していたことが認められる。そして犯行の前日は午前八時三十分頃中津軽郡新和村小友部落にある葛西八九郎方に餅臼を修繕に行き午前十一時頃終つてその礼金を密造酒に替え八九郎と共に午後三時三十分頃までに一升の酒を飲み、それより裾野村貝沢部落の須藤清助方に修理材料の竹を置きに行き午後五時頃夕食を馳走になつて同家を辞去した後須藤四郎方にりんご代金二千円の請求に赴いたがことわられて午後七時頃小友部落に帰り水木文之助の妻の病気見舞に同家を訪れその際文吉の妻より夫の所在の探索を頼まれて吉田時計店、成田武光方と順次尋ね歩いたが見当らないまま帰途葛西きさ方に立寄り同居している工藤某より二百五十円を貰い受けて葛西一二三方に赴き、すまし酒をコツプに二杯飲み鍋焼うどん一つを飲食して午後八時頃千葉パチンコ店で暫らく遊び帰宅後更にすまし酒三合を飲み残り五合を持つて午後十時頃再び吉田時計店を訪れ、吉田福三郎、成田武光、成田彌五郎等と共に更に一升の酒を買い足して飲酒し十二時過ぎ頃同家を辞去した頃はその日飲酒した酒の総量は凡そ一升六合程に達していたこと。そして些か酷酊を意識しながらも平生と変ることなく帰宅した被告人は寝場所を作つていた際味噌がめに味噌のないことを気付き父の家から味噌を盗んでこようと思い立ちその足で懐中電灯を照らしつつ雪道を約三百米離れた父の家まで歩き味噌小屋に侵び込んだ後勝手知つた味噌樽から持参のかめに味噌を移し取つたところまでは自らの行動を逐一鮮明に意識し犯行後の追想においても正確で曖昧な点は少しも認められないことが明らかである。ところがその際懐中電灯に映し出された味噌桶の陰の猟銃一挺を目撃した頃から被告人の心神には異常な興奮と被害妄想的な精神錯乱状態の発生した兆候を認めうるのであつて、これを被告人の司法警察員並に検察官に対する各供述調書の記載により検討すれば先ず司法警察員に対する自首調書において被告人は自分が銃を見たとき、もし味噌を盗んだことが父にわかればこの銃で殺されると考えたこと及び右銃を発砲した記憶のあること。司法警察員作成の弁解録取書において、父、兄夫婦、甥、姪に猟銃を射撃した記憶のあること。司法警察員に対する昭和二十八年十二月十二日附供述調書において銃を見てもし味噌を盗みに来たことがわかれば殺されるのではないかと考え父や兄権十郎が恐ろしくなつたこと。座敷の方へ行つて猟銃に弾丸をこめて撃つたこと。よく考えて見ると寝間にいた父、兄権十郎夫婦、甥、姪に対し鉄砲を撃つたことを朧げに覚えていること。銃を撃つている際何発目であつたか弾丸を装填すると同時に一発が兄権十郎夫婦の部屋の前で襖の方へ斜めに発射されたこと。当時座敷に電灯がついていた記憶のあること。司法警察員に対する昭和二十八年十二月十三日附供述調書において銃を見つけたとき味噌を盗んだことがわかれば父か兄権十郎にきつと撃ち殺されると思い一層のこと皆殺しにして仕舞おうとむらむらとした気持になつたこと。座敷のところに電気がついていたこと。銃を撃つているうちに奥の部屋の方で女の声のような感じがしたので道路側に近い方の奥の部屋で撃つたこと。撃つていた途中で銃口を上に向けたままで弾丸をつめたとき直ぐ二回位発射した記憶のあること。司法警察員に対する昭和二十八年十二月二十四日附供述調書において弾丸を入れるバンドを腰をしめるとき尾錠の止め金がないのでバンドのはじのところを絡んで落ちないようにしたこと。台所には六十ワツトの電灯がついており隣の奥座敷や土間のところにも五燭光位の電灯がついていたこと。弾丸を銃につめたとき狙もつけないうちに二発位発射したのを入れて十発以上は撃つたこと。奥の部屋の方で何か叫ぶような声を聞いて奥座敷の方にも行つて撃つたこと。撃つた銃の先から火がパツと出たのを見たこと。小屋へ味噌を盗みに行つたとき猟銃を見てこの銃で自分が殺されると思つて銃を撃つた記憶のあること。検察官に対する昭和二十八年十二月十四日附供述調書において味噌を盗んだことがわかればこの銃で撃ち殺されると思つたこと。弾丸は何発かわからないがバンドに半分位並べてあつたこと。父、兄権十郎夫婦、甥、姪が寝ているのを鉄砲で撃つたこと。大体十発位撃つた記憶のあること。検察官に対する昭和二十八年十二月二十六日附供述調書において若し味噌を盗んだのを発見されれば父か兄権十郎のいずれかにこの銃で撃ち殺されるかもわからないと思いその前に父や兄権十郎を撃ち殺そうという気持になり鉄砲をとり上げ弾帯を腰に締めその場で実弾一発を銃にこめ、他の一発を手に持つたこと。鉄砲を持つて物置を出て母屋の方へ行つたこと。別に施錠はしてなかつたからそこから土間を通つて炉のある日常食事する広い部屋に上り更にその次の部屋にも行つたこと。電灯は土間にも部屋にもついていたこと。電灯の光で父、兄権十郎夫婦、甥、姪が寝ていたのが見えたこと。約十発位発砲した外二発位弾をこめると直ぐ銃口を人の方に向けないで発砲したこと。仏壇のある方の部屋であーつという叫声を聞いたこと。銃口から相当大きな火が出た記憶のあることを夫々供述しているのであつて犯行当時の行動に対する被告人の記憶は極めて断片的で朦朧としており意識に著明な障碍のあることを推認せしめるに足るのであるが以上の各供述は、或は被告人が犯した罪の重大なることに驚ろき極刑を免れんがために意識的に忘却を装つたのではないかとの疑念も抱かれるのである。しかしこの点については若し被告人にそのような意図が少しでもあつたとするならば被告人は犯行の直前まで総量において凡そ一升六合程の酒を飲んでいたことは前述のとおりであるから捜査官の取調に対しては寧ろ酒に酔つていて何もわからなかつたことを強調しえたと思われるのであるが犯行当夜の酩酊度について被告人は自首調書において「当夜は酒を多量に飲んだので相当に酔つておりました」旨供述しておるが、司法警察員に対する昭和二十八年十二月十三日附供述調書において「私はどの位飲んだかはつきり覚えないが、ものがわからなくなる程酔つていたわけではありません」旨、司法警察員に対する昭和二十八年十二月二十五日附供述調書において「当夜酒を一升以上飲んでいるがそんなに酔つていなかつた」旨、検察官に対する昭和二十八年十二月二十六日附供述調書において「酒気は帯びていたが本心がなくなるようには酔つておりませんでした」旨、更に原審第十一回公判廷において「当夜酔つていたが、しかし歩くのにはさしつかえありませんでした」旨各供述し寧ろ逆に本心のなくなる程は酔つていなかつたことを一貫して供述している点。田武光の司法警察員に対する昭和二十八年十二月十二日附供述調書、水木文義の司法警察員に対する供述調書、司法警察員作成の昭和二十八年十二月十二日附実況見分調書、水木清永作成の同日附任意提出書の各記載により認めうる犯行当夜被告人が成田武光等と共に飲酒していた際今晩父の家に味噌をとりに行くと喋つておりそれと符節を合せて味噌入りかめ(証第三号)が物置小屋の味噌樽の中より発見された事実等記録に現われた諸般の証拠よりして本件は被告人の計画的な犯行でないことを十分に肯認しうる状況にあること及び司法警察員作成の昭和二十八年十二月十二日附実況見分調書、当審検証調書、原審鑑定人赤石英作成の鑑定書の各記載に同鑑定人の当審公判廷における供述記載、被告人の司法警察員並に検察官に対する前記各供述調書の記載を綜合すれば本件犯行後間もなく出火した原因不明の火炎により福三郎方母家は全焼し被害者はすべて焼死体となつて焼跡の中より発掘されたのであるがその際の死体の位置、現場の状況、並に鑑定人の解剖結果の所見等よりして父福三郎は布団に就寝しているところを約二、三尺離れたところから頭部を射撃され、同室に就寝していた水木登及び隣室の権十郎、妻きぬ、長女雪子並にその隣室に就寝していた祖母りつはいずれも恰も銃声を聞きつけて布団にもぐり込んだところを銃口をその中に挿入して順次頭部、肩部附近より至近距離で射撃された如く射殺されており(火災は恐らくその際銃口より発した火炎が布団に引火して発生したものと思われる)葛西だけは道路に面した南西隅の縁側において腰部を射殺されて死亡している事実を確認しうるところ被告人は祖母りつ葛西たけの両名を除く他の家人に対する射撃についてはただ漠然と射撃した記憶のあることを供述しているのみで右のような射殺の方法については少しも触れるところがなく、他方葛西だけについては同人の死体が発掘された場所よりして同人は縁側の隅に逃げ込んだところを被告人より射殺されたのではないかと思われる状況にありそれと符節を合する如く被告人は道路に面した奥の方の部屋で女のあーつという叫び声を聞いて射撃したことを記憶している旨供述しており、若し他の家人に対する射殺の方法を故意に秘匿しておるものとするならば葛西だけに対する射殺の記憶についても当然に忘却を装うと思料されるにも拘らずこの点についてはかなり真に迫つた記憶が供述されている点等を彼此合せ考えれば被告人の犯行当時の行動に対する前記の追想は決して作為的な健忘を装つたものではなく被告人は記憶するところを偽ることなく正直に供述しておるものと認めるに十分である。原審証人相馬長三郎の供述記載は必ずしも右認定を妨げるものでなく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そして被告人は頭部より血を出し仰向けに倒れている福三郎の前に猟銃を持つて立つている自分に気付いた頃から再び意識を次第に回復し自分が父を射撃したことを知り非常に驚ろき且狼狽して直に自宅に戻り残つていた酒を煽つてメモ仮に書置きを認めて後水木嘉昭方に走り「鉄砲で父に殺されると思つたので父を射つた」旨訴えて身を悶えて泣き叫び同人の運転する自動三輪車に乗車して駐在所に赴く途中葛西与作方においても同様の顛末を告げ新和駐在所に自首するに至つたことが記録上明らかである。これによつてみれば被告人は犯行当時の極く短い時間の意識に特異な障碍の発生していることを認めうるのであつてこれを経験則に徴するも被告人は猟銃を目撃して以後異常な興奮と被害妄想的強迫観念の交錯した精神錯乱状態に陥つたのではないかと推察するに難くないのである。しかるところ原審鑑定人安斎精一、及び同林章作成の各鑑定書の各記載に同鑑定人両名の原審公判廷における各供述記載、並に当審鑑定人塩入円祐作成の鑑定書の記載に同人の当審公判廷における供述を綜合すれば生来性の癲癇性素質のあるものに稀有ではあるが極めて突然に明かな原因、動機と思われるものもなく自生的に精神の変調を来しそれが比較的短時間に回復する所謂一過性の発作的精神障碍の発生する可能性のあること。その間は明かな意識の障害に屡々興奮不安、感情刺戟性を示す幻覚妄想を伴い記憶の不完全な朦朧状態を呈すること。被告人は或る程度癲癇性の遺伝的素質を潜在的に有しているか乃至は癲癇性格の明かに認められること。精神薄弱症並に変質徴候のあること。アルコールに対する反応の異常となる素質を有していること。このような素質徴候のあるところに加えて前説示の家庭的環境に基因する不快、憤懣の感情的緊張があり殊に被告人の住居に関連してこれが一層昂じていたため犯行当夜多量に飲酒したことによつて味噌小屋に入る頃から病的な或る程度の意識障碍を生じその状態において鉄砲を目撃したことが契機となつて被害妄想的思考それによる恐怖的感情の興奮により突然意識に著しい障碍を生じそれが犯行後間もなく漸次回復している経過に鑑み被告人の犯行当時における不完全な記憶は前述せる一過性の発作的精神障碍による朦朧状態に陥つた結果と認められること。被告人はこのような意識障碍のもとに理性的な判断抑制を喪失し平素の鬱積した激情の爆発した憤怒的状態から原始的動物的の兇暴な攻撃行動に及んだものと認められること。この状態における人間の意識は理性的な上層の精神的意識作用が特に障碍されているため後日断片的な追想がなされえたとしてもそれは人間の正常な意識と同日に論じえない全く別人格の病的意識の作用であつて事態の正しい認識判断それに従つて行動することは全く不可能な心神の状況にあること。以上の各事実を認定することができる。果して然らば被告人は犯行当時刑法に所謂心神喪失の状況にあつたものと認定するのが相当である。所論は被告人が味噌小屋において猟銃を目撃して精神障害に陥り福三郎の前で意識を回復するまでの時間は一分三十三秒乃至一分四十三秒如何に多く見ても二分とはかからないと思われること。従つてそれより犯行前後の時間を控除し純粋に犯行に要した時間は七十二秒乃至八十秒位となりかかる短時間における心神の状態を日時の経過した後において断定すること自体多大の疑問があり経験則に照らすも原審の認定は極めて不当である旨主張するのであるが前記各鑑定書の記載に当審証人塩入円祐の供述を綜合すれば右各鑑定人はあらゆる科学的方法により詳細綿密な調査研究を尽した上で被告人の犯行当時の記憶についての供述を検討し犯行の動機についても被告人が日頃反目し利害の相反した福三郎及び権十郎に対して行動している点に特に慎重な考察を進めた上その結果の綜合判断として被告人が犯行当時病的異常の精神状態にあつたことを論結していることが明かであつて殊に被告人が正常な心神の状況に立帰つたのは同日午後九時頃であつたこと、従つてその障碍に陥つていた時間は約八時間位で一般的に数時間乃至数日間継続する一過性の病的異常の発作形態に合致するものであることを認めうるのであるから前記各鑑定人の鑑定結果に対し所論の如く疑念を挿むべき余地はなく又経験則に徴するも被告人の犯行当時における心神の状況に異常の発作を認めうることは前叙のとおりで、これがたとえ短時間であるからといつて前記鑑定結果に鑑みるときは寧ろ短時間に回復することが常態なのであるから、かかる短時間の心神喪失を認定することが経験則に違背するとなすこともできない。

次に所論は原審鑑定人林障作成の鑑定書中「事態の正しい認識判断それに従つて行動することは不可能であつたか少くとも非常に困難であつた」旨の記載を論拠として被告人の犯行当時の認識判断が不可能でなかつたことを主張するが同鑑定人の原審公判廷における供述記載によれば被告人の場合は事態の正しい認識判断は全く不可能の状況にあつたことを認定しうるのであるから所論はその前提を欠き採るをえない。次に所論は被告人が捜査官に対し供述している犯行当時の記憶がその後原審各鑑定人の鑑定の際における問答並に原審公判廷における供述においてかなり重要なる部分において修正され故意に否定されている部分も尠くないことを指摘して右は犯行当時被告人に自己意識の存在したことを証明するものであり精神障碍の程度は心神耗弱の状況にあつたと認めるのが相当である旨主張する。しかし原審証人林章の供述記載によれば後日における被告人の記憶の修正変更は元来が不確実な記憶のための結果であつて故意になされたものでなく記憶がそのように整理されたものと理解しえられるのみならず被告人が捜査官に対し供述している前説示の曖昧な追想自体に徴するも被告人の犯行当時における被害妄想的な異常の発作を認めうるのであり右記憶が全く別人格の病的意識の範疇に属するものであることは前記説明のとおりであるから自己意識のあつたことを前提とする所論は畢竟独自の見解であり採用の限りでない。尚原判決が「心神喪失の事実の存否について非常に強い疑があるときは心神喪失の事実の不存在が証明されない限り右犯行当時心神喪失の状態にあつたものと認める外ない」旨判示し更に判文の随所に疑問を止めるが如き認定の方法を用いていることは洵に所論の指摘するとおりでその部分のみにこだわるならば些か論理の飛躍を冒し或は判旨明確を欠く憾なしとしないのであるが判文を全体として精読するならば原審は結局犯行当時被告人が心神喪失の状況にあつたことを認定している趣旨であることを優に肯認できるのであるからこの点の所論も採るをえない。

以上これを要するに原審が被告人の犯行当時における心神につきこれを心神喪失の状況にあるものと認定したことは洵に正当であるというべく所論において種々抗争するところは全く独自の見解に立つて正当な原判決の事実認定を攻撃するに過ぎないものと認める他はないのであるから論旨はいずれも理由がない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条により本件控訴を棄却し主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松村美佐男 裁判官 小田倉勝衛 裁判官 三浦克己)

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